ふるさとをおもう

 私の活動地域は、北陸信越ブロック5県(長野、新潟、富山、石川、福井)と、東海ブロック4県(愛知、岐阜、三重、静岡)。各地であいさつをさせていただくと、「実は南信濃の出身なんです」「私は佐久市に兄弟がいます」「私は40年も前に四賀村から引っ越しました」「信州大学の理学部の卒業です」など、多くの方が自分と長野県のかかわりを話してくださいます。「長野県から、若い候補が出てくれたことがうれしい」と率直に言っていただく方もいらっしゃいます。
 岐阜県の可児市(かにし)に伺ったときも、うれしい出会いがありました。可児市に私がうかがったのは、国民連合政府の提案がなされ、つどいでその内容でともに語り合うためでした。安倍政権を倒して、戦争法廃止・民主主義と立憲主義を取り戻す国民連合政府をつくろうと話し合ったとき、70歳くらいの男性が「実は私は、たけださんと同じ中野市の出身だ」という方が発言されました。ここまでは時々あることでしたが、この方は、「たけださんを応援したくなった」といって、「中野小唄」を私の応援用に替え歌で歌ってくださいました。中野小唄とは、市立小学校の運動会などでは必ずみんなで歌い、踊る唄で、私も知っていました。ふるさとを離れて何十年経っても、ふるさとへの思いは多くのみなさんの胸の中になるのだ、と実感しました。
 愛知県碧南市に伺うと、下島良一市議にお会いしました。碧南には、冬ニンジンや玉ねぎなどの愛知県の農業視察を行いましたが、この下島さんは、長谷村の出身だ、とのことでした。長谷村の美和ダム建設にともなって長谷村を出て、碧南の地に開拓農民として移り住んだそうです。「だから、もう生まれた家はダムに沈んじゃってないんだけど、父親がこの地で養豚をはじめ、母が肉の加工業を始め、この土地に住み着いた」とのことでした。しかし、移り住んですぐ、伊勢湾台風(1959年)で堤防が決壊するなど大きな被害にあったそうです。「実は、開拓地の選択肢はもう一つあって、そっちに行った長谷村出身の家族は亡くなった人もいた」といいます。高校生のときだったそうです。
 下島さんに「長谷村出身の毛利栄子県会議員もがんばっていますよ」とお話をしたら、「長谷村ですか!みなさんがんばっていてくれてうれしいですね」と笑顔で喜んでくださいました。
 故郷、信州・長野を思う人がたくさんいる。同じ思いの方がいる。たいへんうれしくなる瞬間です。

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